とにかく全力で1回走ってみますか、みたいな感じ──久しぶりに制作された「蟲師」はどうでしたか?
うーん、ある種のリハビリだったかな……と(笑)。
──リハビリ、ですか?
8年経ってみんな年を取ったんですよね。しかもその間、それぞれが別の作品を経てきてる。だから、まずは「蟲師」をどうやって作っていたかを思い出すところからのスタートでした。自分が8年前と同じ身体感覚を持っているのか、果たしていまの自分が「蟲師」を表現出来るのかを「日蝕む翳」で試したというか。でも、もちろん肩慣らしみたいな軽い気持ちではやってないです。「今回失敗しても、次で挽回すればいいや」とは誰も思ってない。カンを取り戻すために、とにかく全力で1回走ってみますか、みたいな感じ。
──なるほど。8年間の空白を取り戻す作業だったんですね。
そうですね。だから「日蝕む翳」ができたときは「やったー! できたー!」って感じじゃないんです。逆に気持ちが引き締まったというか。「ちょっと新シリーズ頑張るわ、気合い入れ直すわ」っていう(笑)。いろんな課題が見えましたからね。納得できなかった部分もあるし、自分で思っていた以上に出来た部分もあったし。終わってまずしたことは、反省会。みんなで今回の出来について本音をぶつけ合いました。
──8年ぶりの作業で、何か変化はありましたか?
もちろんありましたよ。8年で全く変化してない人間がいたとしたら、すごいですよ(笑)。よく思うんですけど、僕達ってパーソナルなエスカレーターに乗っているようなものなんですよね。時間はどんどん流れていくから、いつの間にか階数が上がってきちゃう。でもエスカレーターを逆走するワケにはいかないから、上から「前にやってたのあそこだよね」って下を見て、あのとき自分が何考えてたのか、何故そう思ったか、過去の自分と話し合いをしている感じです。で、その思い出す作業で僕達が一番頼るべき存在が、やっぱり原作なんですよね。
──なるほど。
原作を読むと、あの頃にバッと戻るんですよ。原作はこういう絵だけど、アニメではこう変えたんだった、とか一気に思い出せるんです。原作のおかげで、1期が終わったときの自分と今の自分を直結させることができましたね。
グレートマジンガーにパワーアップしたのが嫌だった──スタッフの方々にはどんな指示をされたんでしょうか。
スタッフにもそのまま「あの当時に戻って、同じことをやってほしい」とお願いしました。もちろん変わってしまうものはありますよ。例えば声優さんが8年前と全く同じ声が出せないのは仕方がないことだし、アニメーターだって8年経っていれば絵も変わる。子供が生まれた人は子供に対する考えが芽生えるし、親御さんを亡くした人がいれば、親が死ぬ話に反応してしまうことはある。それは当然です。でも、せめて取り組み方、我々作り手側のスタンスは同じものでありたい。「蟲師」を表現する上で、前と比べてあまりにも違うっていうことはやりたくない。
──パワーアップさせよう!みたいな思いはなかったですか。
僕は「蟲師」のファンなので思うんですが、大好きな作品が8年ぶりに帰ってきて、全く新しい作品になってしまうのは寂しいんですよね。いくらパワーアップと言われても。僕が子供の頃、「マジンガーZ」っていうロボットアニメが大好きだったんですけど、続編で、グレートマジンガーっていうパワーアップした新しいロボットが出てきて。それがものすごく嫌だったんです。なんかトゲとかいっぱいつけて、そんなので子供が喜ぶと思ったら大間違いだぞ!って(笑)。
──派手にすればいいってもんじゃないと。
もしギンコのディテールが増えて、なんか細かいリアクションがいっぱい入って、タバコを吸うとファーって先端が光ったりとか、常に光がバーって出てる映像を見たいか?って言われたら、自分は見たくないです。変わらないギンコが見たい。
ソフトやツールが進化しても、思考プロセスは効率化できなかった──変わらないために特に心がけたことはありますか?
やっぱり経験はそのまま残るから、当時に戻そうとしても、どうしても歪みみたいなものがあって。それを戒めるのには苦労しました。作業を簡略化しようとしてしまうというか、その知恵を得てしまったというか。これまでの仕事で培ったことを、無意識に適用しようとしてしまうんですね。でも「蟲師」はその枠に当てはめちゃダメなんです。
──でも技術的な部分では、昔は出来なかったけど今なら出来る、っていうこともありますよね?
もちろんありますよ。例えばレンダリングという作業では、蟲が何万匹もいるような場面だと重くて処理に時間がかかるんです。だから8年前は失敗した時にやり直しが効かないことが多かった。でも今回は余裕なんですよ。もうマシンのスペックが全然違いますから。
──技術的には作りやすくなった部分もあると。
そうですね。ただそれって効率化でしかないんですよね。それに、ソフトやツールが進化しても、思考プロセスは効率化できなかった。もっと上手くやれるかなって思ってたんですけど、8年前と同じでした(笑)。
──「思考プロセス」というのは具体的にはどういうことですか?
「蟲師」ではどんなシーンや会話でも、もっと言うと絵1枚でも、すべてに意味が存在します。それを忘れると、ただ原作をなぞってるだけになってしまう。マンガとアニメでは表現方法が違うので、映像にするには、まず漆原さんと同じ思考プロセスを踏まないといけないんです。漆原さんが何故ここで少年の顔を描いているのか、なぜここで森の背景を入れているかを考える。そうすると原作のコマ割りどおりでは、映像にすると伝わらないことが出てくる。漆原さんはリズム的にここアップを入れたけど、映像ではいらない、次のカットまで我慢してそこでアップを入れよう、こっちが重要だと。その作業を丁寧にやらなきゃダメなんです。そういった意味でも「蟲師」の作り方は変わってないなって思いますね。
──きっと1期の時点で作り方が完成されてたんでしょうね。
そうだといいんですけど。何か到達したものはあったんだと思います。
安易にアニメの文法に落とし込まないこと──監督がマンガ原作でアニメを作る上で、大事にしていることはありますか?
まずはその原作をアニメにする意図や意味、ある種の勝算みたいなものが見つけられるか。アニメ制作には本当にたくさんの人が関わるので、「この作品なら絶対に大丈夫!」という確信がないまま作るのは、すごく危険なことです。
──なるほど。
それを見出せたら、次はスタッフに「このアニメはここを目指して下さい」というゴールを提示します。アニメはたくさんの人たちの頭と手を使って作品を作り上げていくものですが、それぞれの作業は単独作業。最終的に、みんなの作り上げたものが一緒になって完成します。だから、同じゴールを定めておかないと、合わせたときに「なんでこんなに合わないの?」と、当然なります。「サイケデリックな色味を目指してみました」っていう色彩設定の人と、「リアリティのある背景美術を描いてみました」っていう美術監督が描いたものを合わせても、やっぱりバラバラになるじゃないですか。
──作品の方向性を定めておくのが、監督の仕事と。
目標を定めて、ポイントを示してナビゲートする。そうすると、ゴールに何があるか知らなくても、最終的にひとつの絵になったときに「これだ!」ってなるんです。
──では「蟲師」に関してはどういう“ゴール”で作られたのでしょうか。
僕は、「蟲師」はキャラクターが主役の世界ではないと思っています。ギンコそのものではなく、その周りを取り巻く世界が主役の作品だと。だからキャラクターに焦点を当てて、キャラクターだけを表現できれば済む作品ではないということは、何度も話しました。「蟲師」は、とにかく原作を読んで感じる空気感を損なわないアニメにしたかったんです。山奥の湿気とか、海の潮の香りとか、本来、映像やイラストでは伝わらないはずの感覚、原作に散りばめられた作品の世界観や空気感を構成する要素のひとつひとつを大事にしていこうと。安易にアニメの文法に落とし込まないでほしいと。
──アニメの文法、ですか。
現実の動きとは違うけど、アニメだったらこの方がわかりやすいだろう、みたいな表現って結構あるんですよね。デフォルメするというか、記号的な表現というか。でも実際は、そういう既存のアニメの文法に落とし込まなくても、作れるはずなんですよ。中にはアニメの文法に則って作ったほうが良い作品もあると思うけど、「蟲師」は違うと思っていて。以前、「タッチ」の監督の杉井ギサブローさんと雑誌の対談でお会いしたときに、杉井さんに「『蟲師』はすごく良い作品だけど、油断しているとパターンになるので気をつけて」って言われたことがあって。
完全フィクションの世界と、実生活との接点を持たせる──パターンになる、というと?
何も考えずに、ここはパン(横方向にカメラを振って撮影すること)で、とか、ここはTU(カメラが被写体に近づいていくこと)で、というやり方ですね。演出の人にはよくある癖だと思うんですけど、絵がもたない、とかそういう曖昧な理由で動きを付けてしまう。でもその動きに意味を見出さない限り、むやみに動きをつけちゃいけないと思うんです。僕はもし「ここは何でパンアップなんですか?」って聞かれても、「このキャラのこういう心情を表現するためですよ」って、答えられるようにしてあります。
──すべての演出に意味があると。
はい。それにアニメーターだって、自分の描いている絵に意味がないと、ただ疲れるだけじゃないですか。だから意味をちゃんと説明することも大事ですね。あとは作り手が実感していること。「日蝕む翳」の大八車の場面は、現実感を持たせるために実際にみんなで大八車を引きに行きましたよ。実際に引いてみるとかなり重いんだけど、スピードに乗っかってくると、今度は止まるほうが大変なんだ、とか、発見も多いです。
──やっぱり体感することで絵に現れるんですね。
現れます。鉄砲を持ったことがない人には鉄砲の質感や重さが描けないですし、草履を履いてみると、草履を履いた足がどういう動きをしているのかまで表現できるようになる。体感しておくことはとても大事です。火が熱い、水が冷たいっていうのも、各々が実感しているから伝わるわけですから。
──実感できる要素があれば、共感できると。
キャラへの感情移入とかよく言いますが、感情移入するしないは実は大きな問題ではなく、どちらかというと、キャラたちが直面している出来事だったり、彼らの手触りみたいなものを理解しているかどうかのほうが大切かなと。特に「蟲師」は、時代劇みたいな舞台背景に、コートとシャツに銀髪で片目の男が出てくる、という、完全フィクションの世界じゃないですか。その中に少しでも、我々の実生活との接点を持たせることは大事かなと思いますね。
毎回違うものを提示していきたかった──2期の構成表を拝見して気になったのですが、「蟲師」には各話ごとにテーマカラーがありますよね。これにはどんな意味があるのでしょうか?
ギンコって劇的に変わらないキャラクターなんです。だいたい同じシャツに同じコートで、季節によってコートを着るか着ないかくらいじゃないかな。でも、ギンコは変わらなくても、「蟲師」の世界の舞台は毎回変わっていくじゃないですか。山間部もあれば南の海もある。それに各話で誰が主軸になるかというと、ギンコではない別のキャラクターです。そこで、各話の世界にギンコを馴染ませる手助けとして、テーマカラーというものを設けた感じですね。
──ギンコのある種の違和感というか存在感を、その話につなげる役割なんですね。
そうですね。例えば1期の4話「枕小路」のイメージカラーは「苅安(かりやす)色」っていう、黄色っぽい色なんですけど、画面全体にうすーく黄色い色味を混ぜているので、ギンコの髪の色が少しだけ黄色がかってる。この影の色の彩度をあげていくと真っ黄色になるんですよ。
──確かに! すごいですね。
明確に「今回黄色の回だ」って認識しなくても、人間の脳はすごく優れているので、前の話のギンコとは違うってことはわかってくれるはずなんですよ。同じ服を着て同じ髪なんだけど、前とは違う。全話のギンコを並べてみたらわかると思います。同じように見えても、全部色が違いますよ。
──なるほど。面白いですね。
ギンコだけは全く変えず、周りの環境が変わっていくっていう見せ方もあったと思うんですけど、毎回違うものを提示していきたくて。そうすれば、ひとつひとつのエピソードが単体で成立するようになるんじゃないかと思うんです。5話から見て1話に戻ってもいい。僕はどこから読み始めても楽しめるのが原作の「蟲師」の魅力かなと思っていますので。
──確かに、アニメの順番って原作の掲載順とは違いますが、全く違和感がありませんでした。
原作の「蟲師」ってスケールの大きな話が続いたりすることがあるんですよ。最終回クラスのエピソードが2連続で来ちゃった!みたいな。あと内容的に悲しいお話が続くこともある。僕としては毎週楽しみにしている人たちに、「前回がバッドエンド、今回もバッドエンド、来週もまたバッドエンド……?」とはならないようにしたくて、順番を変えました。「蟲師」はそれをやっても全く問題がない作品ですしね。実は全話をシングルDVDみたいにして売れないだろうか、という話をしたことがあるんです。話数ではなく、「緑の座」「瞼の光」っていう感じで。
──自分が好きな順番で見られるように?
そうです。自分が好きじゃない話は買わなくてもいい。みんなが自分の「蟲師」のラインナップが作れるくらいがちょうどいいなと。そういうことができたらいいですねって言ってたんです。だから劇伴も毎回変えたんです。
曲を聴くと「ああ、これは○話だな」と思い出させる力──音楽もすごく素敵ですよね。とても印象に残ります。
増田(俊郎)さんの音楽はすごいですよね。名作と言われるような映画には、テーマソングがアレンジ違いで映画中に散りばめられていて、全体を通して観た時にその曲が頭に残るような力があるじゃないですか。「蟲師」の音楽も同じように、曲を聴くと「ああ、これは○話だな」と思い出させる力があると思っています。
──監督から「この話はこんなイメージの曲を」というような注文はあったんですか?
全くないです。「この話の曲を下さい」って増田さんに言うだけです。実は笑い話があって、淡幽が出てくる「筆の海」という作品があるのですが、この曲のCDが届いて聞いてみたら、なんか違和感があって。僕はどうしてもそれが淡幽の曲とは思えなくて、「これ本当に『筆の海』ですか?」って確認したんですよ。でも届いたCDには確かに「筆の海」って書いてある。でも「筆の海」じゃないと思う、って話をしていたら、増田さんから連絡が入って、さっき送ったCD間違ってましたって。
──言い当てたんですね。
もうわかっちゃうんです。あの話の最後にこの曲が流れるわけないって。改めて届いたCDを聞いたら「ああ、これですこれです」って。ちょっと神がかってますよね(笑)。でも、それくらいみんな原作を読んでるんですよ。みんなの中心にあるのは原作なんです。
「蟲師」は僕のすべて──原作に忠実に作ることへのこだわりがあっても、実際ここまでマンガを読んでいるのとアニメを見ているテンポが同じ感覚で見られるアニメってないと思うんですよ。
ああ、うれしいですね。
──でもたくさんの人が関わるアニメという表現方法で、作り手全員がその感覚を共有して実行するのはかなり大変なのではないでしょうか。
僕は原作が好きで面白いと思って作っていれば、みんなの感覚はズレないと思っているんです。例えば同じものが好きな同士が集まると大概盛り上がれるじゃないですか。「あそこいいよね」「でもおれはあのシーンも好きだな」「ああ、確かにそこもいい」「わかるわかる」ってなるでしょ。それは、それぞれの見方は違うかもしれないけど、感じているものにはそんなに大きな差がないからなんじゃないかなと。
──「好き」という感覚が共有できれば大丈夫、と。
僕は自分がアニメにする作品は絶対に好きになります。「蟲師」はそもそもが大好きなので、実はそんな苦労すらないんですよ。あと、僕には漆原さんっていう力強い味方がいたので。「このコンテ間違ってますか?」って聞いても、「何も間違ってないです。むしろセリフがないのによく表現出来ましたね」って言ってくれる。ああ、僕は間違ってないなって信じて作れます。
──確かにそれは間違いないですね(笑)。
誰かに文句言われてもね、「漆原さんからこれでいいって言われたもん」って(笑)。
──では最後に、監督にとって蟲師とは何ですか?
うーん、そうだなあ……。僕の「すべて」でしょうかね。何を作っていても「蟲師」が基準になっている。全部の中心に存在してます。監督をやり続ける限り、「蟲師」とともにありたい。スタートでもあるし、終わるのも「蟲師」で終わりたいですね。